恋愛を題材にした創作物は数多く存在します。
小説、映画、音楽、アニメーションのどれにおいても、ちょっと考えればすぐに「恋愛もの」の傑作を重い浮かべることができるのではないでしょうか。


芥川龍之介の作品のなかで次のような言葉がありました。

「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたのもである。」

この言葉の意味するところはまぁ、そのままだと思います。性欲→恋愛という一種の言い換えのであるということですね。 


この言葉を聞いたとき、僕はなんだか納得したような気持ちになりました。

僕は、自分ではたいして性欲の強い方ではないと思っています。(ただし笑いのネタとしての下ネタは結構好みますw)そのまま、恋愛というものに対しても疎い方で、思春期の頃はともかく、現在では異性と心を通わせることにそれほど憧れを抱くこともありません。

しかし、「恋愛もの」の創作物に対して興味がないかというと、そうでもありません。

このことに自分でも違和感を感じていたのですが、この「詩的表現」という言葉によってある考えを思いつきました。


優れた「恋愛もの」の創作物の中にある「恋愛」というのは性欲の言い換えには留まっておらず、芸術としての美しさを放つ新しい概念として昇華されているのだろう、と。


現実の恋愛とはちょっと異なった価値観としての「恋愛」であるために、そのことに対して直接的な興味を持っているわけでもない人間でも楽しむことができるのですね。



独善的かつ長ったらしい前置きでした^^;

今日は『ファインマン物理学』という本について紹介したいと思います。

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・・・物理学の本ですw

これは、ファインマンというノーベル賞を獲得した物理学者が、UCLA(カリフォルニア工科大学、MITと並ぶ世界トップの工科大学)の物理学部に通うまだ二十歳そこそこの青年達に対して行った講義を本におこしたものです。

ファインマンという人は大天才なのですが、とてもユーモアがあり、魅力的な人間でもあったそうです。ただ天才的な科学者にありがちなことに、自分の専門分野のことになると熱くなって宇宙に飛んで行っちゃうという悪癖を持っていたみたいですねw

この講義もその例にもれず、最初に聴講していた学部生はしだいにサボるようになり、最終的には面白がった院生や講師の方ばかりが出席するようになったそうです^^:


さて、なぜこの本を紹介したかというと、それはこの本が知識欲を芸術とよべる程の価値観にまで昇華させているな、と感じたからです。それも物理に対して前知識のない人間に対しても通用するほどのレベルに。

この本は怪しげな新書のように、物理の言葉だけを借りて読者を啓蒙するような内容ではありません。
それどころか、大学レベルの物理学の勉強にも通用するほどにしっかりとした内容です。

だけど、面白いんですね。ただただ、面白い。
全6巻で相当分量があるのですが、僕は学生の頃に、1年くらいかけてなんとか読破した記憶があります。
読むこと自体が苦痛なのではなく、読むのにかかる時間が膨大すぎることがつらかったw

SFはある程度以上の物理の知識があったほうが面白いので、そのためにもこの本を読むのをおすすめします。

最後にファインマン先生の講義から一部を抜粋


 「もっとも印象的な発見の一つは、星をたええずもやし続けているエネルギーの源泉である。星を輝かせるのには星の中で核反応が起こっているに違いない、ということに考え付いた発見者の一人は、夜、彼女と外に出ていた。”なんて星がきれいなんでしょう”と彼女がささやく。彼はいった”そうだね、だけど星が何故光るのか、そのわけを知っているのは、いま世界中で僕一人だけなんだ”、それを聞いて彼女はニッコリするだけであった。何故星が光るかを知っているというただ一人の男とその瞬間にいっしょに歩いているということには、彼女は別段感興を示さなかった。たった一人というのはあわれなものである。しかし、この世界はそういうものなのである」

『ファインマン物理学』,坪井忠二訳



 
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